やりたくない

もしあなたが宗教を信じているなら、ここでブラウザバックしてほしい。

 

僕個人は熱心な無神教信者で、キリスト教から神道に至るまで全ての宗教を好まない。だから、当然輪廻転生についても信じていない。科学的に言えば、死後僕たちの身体を構成する原子は、宇宙にバラバラに拡散すると考えるほかない(もちろん科学は一種の宗教であるという捉え方もあるが)。そう考えると、僕たちの人生は本当の意味で「1回きり」なのである。ならば、どこに自分がやりたくないことをする必要があるだろうか。少なくとも僕の頭の中には、こういった考えが常にある。

 

ところで、ここで言う「やりたくない」とは、何も安直に「受験勉強したくないからやらない」とかそういうことではない。もしあなたが「受験勉強はやりたくないけど受験勉強することによっていい大学に入ってお金持ちになりたい」と考えるなら、やりたくない受験勉強はやってもいい。そのやりたくないことはやりたいことに内包される。「老人を助けるのはめんどくさいけど好きな子が見てるかもしれない」なら助けてもいい。「指は痛くなるけどステージに立ちたい」ならギターを練習してもいい。

 

つまり、最終的に「やりたい」が待っている「やりたくない」ならやってもいい。逆に「◯◯に怒られるからやりたくないけどやる」とかなら辞めてしまった方がいい。それは消極的で受動的な理由だからだ。要するに、大事なのは常に自分の意思である。自分の意思でやりたいことを決める。やりたくないことを決める。やりたくないことは出来るだけ避ける。どれだけ嫌なことを頑張っても、別に徳が貯まって2周目スタートとか無い。だから、僕も自分の意思を大事にして生きていきたいなぁと思う。

 

何か宗教じみた自己啓発感が出てしまったが、神とかいうよく分からないものを持ち込んでいないだけ、まだこの記事の方がマシだと思う。